知財渉外にて

2008年3月~2014年9月までの間、知財渉外ネタを中心に書いてきました。

Discoveryの制限は現実的に可能なのか

シンポジウムの第2セッションのパネルディスカッションの中で出た話題の続き。

PAE訴訟では、訴訟に係る費用が多大であることをレバレッジにしてそれよりも少し低額になる金額で和解を持ちかけるという構図がある。そして、その『訴訟にかかる費用』のうちの大半を占めるのが、Discoveryにかかる費用である。これを制限することは可能なのか、という話が出ていた。

e-Discoveryになって、従来よりもさらに提出するdocumentの料が膨大になっており、アルサップ判事によれば、裁判所に対して50 computersのうち5 computersに限定し、それ以上を求める場合にはそれなりの理由付けを求める、等、limitをかける試みはされており、裁判所にそのような命令を求める意義はある、とのことだった。

傾向として、PAEは自分たちがほとんど資料をもっておらず従ってDiscoveryの負荷はないに等しいため、ものすごくbroadな要求をしてくる。それは広すぎて非合理的と反論することはもちろん可能だし、実務上はそのようにして範囲を狭めていきながら対応するわけだけれど、それだって何がunreasonableなのかについてきっちり根拠を作ったりするにはそれなりの時間がかかるわけで、ここでも弁護士費用のメーターは回る。考えなしに言われたままに実行するよりはもちろんちゃんと考えて切り分けてやるべきなんだろうけど、そもそもそんなコストは全然かけたくない、と思うのがDiscovery自体制度として持たない国の我々の言い分だったりするんだよね。

また、このような個別な制限ではなく、もっと一般的にDiscoveryを限定的にする(IPRのように、一部についてだけやるとか?)のは、制度の根幹を揺るがすことになり難しいだろうというのが大方の見方だった。やはりDiscoveryでしか得られない証拠というのはあるので、一律に制限してしまうとそういう者に対する救済の途が閉ざされる、ということである。そりゃそうで、方法特許について証拠がないからほとんど権利行使できないというのはよくいわれる話。武器対等の原則を貫くためのDiscoveryを堅持してきた米国としては、この徒花のようなPAEのためにそこまで弄るのはちょっと、という感覚のようだった。

日本企業特有の問題として、日本語の資料がDiscoveryの対象になっている際に、自社の代理人との情報共有のために翻訳コストがかかってしまう(相手方に出す場合には翻訳費用は相手の負担である)という問題について会場から質問があった。今では日本語の出来るスタッフや弁護士を抱えている事務所も多いので、そういう所を上手く使ってbasic discoveryについては日本語で済ませるような工夫をすべき、という話だった。確かに、増えてはいる、と思う。ただ、チームで存在しているまではいかないので、その日本人弁護士・日本語の出来るスタッフがどのレベルの人で、どの程度Discoveryに絡めそうか、というのは色々だから、そういう制約の下でなんとかする、という形にはなる。

最後に、priviledgeについては、国際協調の試みがあるけれど、なかなかうまく行きそうな見込みは立ってない、というコメントがあった。やっぱりね。残念ね。。。