知財渉外にて

2008年3月~2014年9月までの間、知財渉外ネタを中心に書いてきました。

おめでとう。そしてこれから

元の勤務先事務所の特許技術者がこの秋弁理士試験に合格したので、内輪でお祝い会をした。

企業の開発系から特許事務所に転職してきて8年ほど、しばらく仕事に慣れてから弁理士を目指して本格的に勉強し始めたものの、試験と相性が悪かったというか、実力は周囲の認めるところであったのに、予想外に長くかかってしまったという方である。

『うかってよかったねぇ』と言うと、

ほんとですよ、もう。いい加減にしてくれ、って感じで。

とか、『受験が終わったらこれをしようとか思ってたことないんですか』と問われて、

もうそういうこと考えるには受験期間が長すぎた。

というコメントの端々に、積み重ねてきた期間と思いが垣間見られて、しみじみ、ようやくでもなんでも今回受かって良かったなぁ〜、と思ったことだった。

あまり席上で真面目な話ができなかったので、合格後の心構え?みたいなことについて書き付けておこうと思い立って以下書いてみたのだが、どうもまとまりがない上に、一体誰に向かって書いているのか趣旨不明だ(苦笑)。ううむ。読まれる方は覚悟の上で(笑)。


さて、残念ながら合格は双六の上がりではない。この先弁理士としてキャリアを積んでいくためには、今後も研鑽が欠かせない。プロフェッショナルであり続けることを自分に課しておかないと、資格=仕事をする上での便利な道具、と捉えた瞬間に成長は止まると思うし、クライアントからの信頼が落ちていく。

これも受験生にはよく言っているが、資格試験は最短で合格する方法を追求し、割り切ってとにかく早く受かってしまうことが肝要で、受験生が試験の適切さとか資格に見合った試験かどうか等に悩んでも仕方がないし、受かる前に試験で出題される可能性が限りなく低いけれども重要な分野の勉強をしたところでただのまわりみちに過ぎない。そんなものは、合格してから存分にやればよいので、四の五の言う前にとっとと受かれよ、ということである。逆に、試験勉強や合格テクニックを駆使して手に入れただけの資格であるのに、その資格に見合った中身が合格だけで身についているとはそもそも勘違いしない方がよい、ということも言える。(ちなみに長く合格までにかかったからと言って、種々の知識がついているとも限らない。念のため。受験テクニックに気づくのが遅れたとか、そもそもその手のテクニックが不得意というパターンが多い。)

なので、「合格後も勉強だよ」と言っても、それは受験勉強とはまったく違うしろものだ、ということで。なにしろ合格のための効率を考えずに、自分が思う方向に存分に進むことができるのだもの。まあもちろん特許庁に対する代理という専権業務を仕事の中心に据えるのであれば、その裏付けとなる知識の入手や研究は欠かせないから、ある程度の必須レベルをクリアした上で、あとは存分にマニアックな方面でもなんでも気の済むように、ということになるかな。

弁理士の専権業務は特許庁への代理に過ぎないけれど、弁理士であると名乗れば、一般的には知的財産に関する専門家であると思われる。知財というのは非常に幅広いので、この全体について『専門家でしょ?』と言われると、普通の弁理士は実はかなり困った事態になるのだが、知財の中でも自分の専門としたいところについては深く知見を蓄えておき、さらに、その他の分野についてはそこまで深くなくてもよいのでそれなりのインプットはしておきたいもの。自分の深い専門を決めるには色々手を出してみて性に合うところ、くらいに考えておけばよいので、慌てることもないし、やっているうちにだんだんそこが専門になった、程度の方がよいのかもしれない。

このように一生勉強状態が続くわけだけれども(笑)、ここで重要なのは人脈。自分よりも知識の豊富な先輩弁理士というのは山ほど存在するわけで、直接教えを請うことも、勉強会や研修に参加して恩恵を被ることも重要だし、間接的に接点ができることで、刺激を受けることでも意味がある。企業知財部でなく、特許事務所にいると、この手の刺激や勉強の機会はどうしても限られるので、この点で弁理士資格を取得するのは非常に意義がある。弁理士という同じ土俵に立てれば、何のかんのと機会が得られ、直接間接に助けてもらえることが多くなる。これを利用しない手はない。

受験勉強に投入した時間を取り返すべく仕事に励むのもよいが、それ以上に世界を広げて知己を広げて刺激を受けて自分に投資することが重要。そして、自分が深く関与して貢献した分だけ人から得ることも増える。委員会などのボランティア活動は、それ自体からの直接的な利益はないかもしれないけれど、その活動を通じて知り合った人に対する自分の信用が蓄積されるから、そこに大きな意味が出てくると思う。