知財渉外にて

2008年3月~2014年9月までの間、知財渉外ネタを中心に書いてきました。

企業内弁理士であるということ

不良社員さんが書かれた『企業内弁理士という存在』を読んだ。奇しくも、最近発売されたBusiness Law Journalの10月号には、『最新インハウスローヤー事情』という記事がある。一般化したことはかけそうにないけれど、自分の立ち位置をどう考えているのか、という視点でまとめておく。

不良社員さんが書かれているとおり、企業内弁理士の数はぐんぐん増加していて(2500人、全登録者の4分の1程度)、先日も知財協のとある専門委員会の顔合わせで、ワーキンググループ(10人程度)の大半が弁理士で驚いた。集まりの年齢層が若くなるほど資格の保有率は高くなる(合格者の数が近年増大しているので当然だが)。

私自身の知財歴は約20年で、そのうち企業内の知財職である期間が13年強、特許事務所勤務期間が7年弱である。弁理士である期間は通算13年、うち企業内弁理士である期間と事務所の勤務弁理士である期間はちょうど半々くらいになる。今後特に環境や心境の変化がない限り、企業に居続けるつもりなので、この比率はどんどん企業弁理士の期間が長くなっていく予定だ。

初職の勤務先では、当時でも常に弁理士受験生がいて、合格者も途切れず輩出していたが、合格後は数年もすると退職され独立されるのが常だったし、受験生自体もプロパーの知財部員より他部門から来たり転職して来たりした方が多かったため、弁理士というのはなんとなく短期間だけそこにいる腰掛けのようなイメージを持たれていたと思う。勢い、固有の役割をそこに見ることもなく、面接審査の時に同行する便利な存在で、実務はともかく法律の知識が豊富なので参考書のように使われていた感がある。(現在はこの会社もずいぶん企業内弁理士の数が増え、そこでずっと実務をされる人の集合になっているようなので、ずいぶん様相が変わっていることだと思うが)

現在の勤務先では、弁理士は私一人である。知財部門(課レベルだが)の長でもあるので、専門家として一応の敬意は払われているし、発言もそれなりの重みを持って受け止めてもらえている。それが有資格者としての弁理士であることから発するものなのか、社内のヒエラルヒーに従うものなのかは正直よくわからない。

入社したときには、当社に対しては、弁理士であるということは、専門家としての素養をわかりやすく示す上で役に立ったと思う。転職活動一般で考えると、あって邪魔にはならないが、それよりも経歴を見られることの方が重要であるのは当然だが、知財部がなくて専門家がいない当時の当社のような会社からすれば、資格保持者は万能っぽく見えてもおかしくはない。

とはいえ、入社してから直接的に役にたったのは、弁理士としての素養というよりは、初職のときの渉外技術法務の経験が一番大きかった。但し、それだけかというとそうではなくて、その後の弁理士試験の勉強、事務所での弁理士としての実務や活動を通じて得た蓄積との相乗効果なのだろうと思う。そこはうまく切り分けられないので実のところ難しいのだけれども。

権利化業務も主導するようになってからは、事務所で弁理士として明細書を書いた経験に加え、多少の事務所経営に関することをしていた経験、さらに、弁理士会の会務(委員会活動)を通じて得られた『事務所の弁理士がどのように考えるか』という知見が役に立った。内情が分かるので話が持って行きやすいという実際の側面もさることながら、企業の考え方と事務所の考え方の両方をみつつ通訳のようなことが可能だということである。

そういう意味では、弁理士の資格があっても企業内にずっと所属し続ける場合、事務所側の見方というのを自然に身につけることは無理があるので、できれば弁理士会の委員会活動に参加して事務所の弁理士さんたちとともに活動する中で彼らの考え方を知ることには非常に大切ではないか。とはいえ、これは委員会の目的ではなくて副産物であり、しかも個人の経験値に蓄積されるだけで、即効会社にとって役立つものが得られるわけではないから、会社が所属弁理士のリソースを投資するだけに見合った効果がないと考えるのも無理はないところである。じゃあ会社に対してどう主張して委員会に出ればいいのか、ということになるが、実際上その辺がルーズな会社もあれば厳しい会社もあるのでなんともいえない(役に立つことが言えなくてすみません)。

インハウスの弁護士にしても似たり寄ったりのところがあるようで、上記のBLJの記事では、何人かのインハウスの方のインタビューの中に、法律事務所で弁護士として執務した経験や司法試験の勉強・司法修習を通じて習得した弁護士としてのスキルセットがインハウスでの仕事に大変役に立っている反面、仕事のクオリティを決めるのは弁護士資格の有無ではなく、知識・経験・才能といった個人の素養である、という趣旨の発言があり、また、弁護士として力が発揮でできるのは、正確な法律解釈が必要となる場面であり、実務感覚で法的結論が分かっている場合でも、裏付けとなる法律上の根拠を明確に説明するのは法律事務所で経験を積んできた弁護士の方が慣れている、これらの弁護士としてのスキルを伸ばして欲しいと期待もされている、という発言も見られる。

上記の『弁護士としてのスキルセット』というのは、弁理士の場合にも通じるところがある。実務的には明らかだけれども、法律等に照らして根拠を明示して、というところ。Twitterでも、「発明者へ進歩性の判断や発明を開示すべきレベルを判例を根拠に説明して弁理士だからと信用してもらえる」等、同旨の指摘を受けた。ただ、弁理士の場合登録前後の研修が司法修習に相当するほどとは思えないし、知識だけではこのようなスキルセットは身につかないので、ある程度事務所での経験とセットなのか、あるいは、知識を前提にして企業内で意識していれば身につくものなのかは(自分がずっと企業内にいるわけではないので)よくわからない。企業の中では1つの案件につついてじっくりあちこちから光を当てて取り組むよりも、方針に沿って短時間で判断を行うことが求められることが多いため、相当意識していないと難しそうではある。

なんだか話がどこに行き着くのかよく分からなくなってしまったが、私自身の話に戻せば、弁理士であることと企業内の知財職であることが自分の重要なアイデンティティになっていることはまちがいなく、この立ち位置とスキルセットが失われないように、今後も弁理士会関係の活動は続けていきたいと思っているし、知財協の専門委員会での活動も同種の意味で(企業の知財人がどのように考えるかという知見を広げる)続けていきたいと思っている。

結局は、上記のインハウスの方の発言にあったように、個人の素養や経験になるのだろうけれど、それを分かりやすい形で示すことができるのが弁理士なり弁護士という資格なのだろう。