若手2号君の話ではなくて。
Yes-No Questionというのがある。
という単純なもの。答えは、YesかNoかの二択である。上級編?として、選択疑問文がある。Aですか?
だ。答えは、Aです。Bです。あるいは、どちらでもありません。Cです。となる。自由にお答え下さい形式のopen questionに比べて、これらは選択肢が限られるので答えやすいはず。Aですか、Bですか?
でも、あなたの周りにもいませんか?『Aですか?』と聞かれているのに、『そうです』とも『違います』とも言わずに、その周辺情報を喋り始める人。
例えば、こんな感じ。特許の侵害警告が来ました。
クレームが100ありまして、そのうち20が独立クレームで、、、なるほど。で、その特許は、存在しているんですか?
(やっと気がつく)存在してます。もう一度聞きます。その特許は、存在しているんですか?
関連出願を含めて4件です。では、何件あるんですか?
ごく当たり前のことをわざわざYes-No Questionにして聞くのは、議論の前提をお互いに明示して立ち位置を明確にするため。いわば、相手にそう言わせて、『そんなことは言ってない』とか『そんなつもりじゃなかった』と逃げられないようにするためだ。
Yes-No Questionに曖昧に答えることは不可能なので、正面から質問に答えるためには、断言せざるを得ない。となると、質問に答える際に、ここで言い切っていいんだろうか?後から困らないだろうか?と意識的・無意識的に防衛本能が働く。また、そもそもそこまで質問を予測したり、将来起きることの見込みを立てて考えたりせず、目の前のボールの処理だけに集中していると、初めてその質問を突きつけられて考え込んでしまい、本当にこの答えであっているんだろうか、となって、先生の顔色をうかがって正解かどうかを見極める子どものような対応になる。
とか、他に選択肢はありますか?
という質問に答えられないケースはこれだ。議論の土俵を決めずに話の流れで持って行くつもりだったのかい?とつっこみたくもなろうというもの。今日話し合うべき議題はこれで全部ですか?
中には質問に質問で返してくるとか、絶対質問には答えないポリシーでもあるのか?という人もいたりして、議論を始めることができなかったり。家人によれば、この手の人は
なんだそうである。で、悲しいかな、社会人になってからこういう習性を矯正するのは非常に難しい。断言して自分の立ち位置を宣言して議論するというのは、その結果を自分に引き受ける覚悟がいる。腹をくくっていないとできないので、結構しんどいのだよ。人間の性質として、楽な方に流れるから、一度後出しじゃんけんで世の中が渡れてしまうと、よほどのことがない限り、正々堂々勝負には復帰しないってことですな。でも、残念ながら、これでは、戦略的な仕事、リードして進めていく仕事は任せることができない。手戻りも多いし、停滞して良い結果が出ない。枠組みを指示した中で処理をさせることはできるだろうけれども。後出しじゃんけんヤロー
んで、知財に限らず、渉外のお仕事ってのは、戦略を組み立てて自分がリードしないと仕事にならんのですよ。はい。
しかし。ここで懺悔します。ワタクシ、仕事では迷わず質問に答える人=決める人なのですが、家ではトンとそれができなくて、夫にさんざん質問に答えろと怒られたあげく逆ギレしてさじを投げられた過去がございます。だってねぇ、プライベートでそんな腹をくくって覚悟を決めて人生送ってないんだもの〜。ごめん!これもやっぱり真剣味が足らないんだろうか?!