知財渉外にて

2008年3月~2014年9月までの間、知財渉外ネタを中心に書いてきました。

職務経歴書その5の裏側

キャリア第2期、特許事務所時代の後半(2005年4月〜2008年2月)は、息子1号小3〜小5、息子2号年中〜小1にあたる。

話は少しさかのぼる。よく言われることではあるが、面倒見のよい保育園時代を送っていると、小学生になってからの方が親の負担が大きかったりする。小学校1年生なんてしばらく午前中で授業は終わってしまうし、その後学童保育に行くわけだが、生活をほぼ全面に担ってくれる保育園と比べると「おかえり」と言って迎えてくれる場ではあるものの、補助的な位置づけと保育園に比べてプアな設備はいかんともしがたいものがあった。これは使われている税金の額がまるで違うので仕方がないのだけれど。とすれば必然的に親の負荷は増える。低学年の小学生を暗くなってから一人帰りさせるわけにも行かず、お迎え必須なのだが、終わりは6時半で、最長8時まで預かってくれる保育園に通わせていた身分からするとあまりに短いのである。

ということで、息子1号が小学校に上がったときは、想定の範囲を超えて色々手当が必要となり、一時は4時頃事務所を出るようにしたり、かなり息子1号シフトを組んでいた。まず1号を学童に迎えに行き、一緒に帰宅してしばらく過ごし、夕食の支度もして落ち着いた頃に改めて保育園に2号を迎えに行くようにしていたものである。まあこれもしっかり預かってくれる保育園があったからこそできたことであるが。

という時期も過ぎ、この頃にはさすがに息子1号の小学生活もペースができて落ち着き、学童と保育園の2カ所お迎えにも慣れてきていた。小学生に朝の送りは要らないから、移転後は、夫が会社に駐車場の申請をして(確か、理由がある場合に限って会社の駐車場の使用許可が下りる仕組みで、それを2号の送迎にしていたのだと思う)、朝は夫にもっぱら送っていってもらい、私は地下鉄や自転車通勤に切り替えた。帰りは交代で迎えに行き、私が行くときは自転車や地下鉄で夫会社の駐車場まで行って車を拾う、というようなことをやっていた気がする。

移転後にはそれまでと職住距離が2倍強になったので、何かあった場合に即座に対応できる度合いは減ったのだが、それでも裁量労働と会議の少なさは私の方が勝っていたので、夫と私の対応率は似たり寄ったりだったと思う。

この頃は、保育園で役員をやり、夜の会議が月に何度もあったりしていた。小学校のPTAはおとなしくしていたが、学童保育所にも保護者会があるので、『保護者』が要求される局面が増えてしまい、学童対応は夫の担当、保育園担当はこれまで通り私が担当、というような分担をした。保育園も学童も似たり寄ったりの雰囲気で、何しろ保護者の出番が多くてイベントも多いタイプだった。まあそれはそれで仲良くもなるしよいのだけれど、微妙に雰囲気は違っていて保育園の活動にどっぷり浸かりすぎて少々疲れてしまい、学童の活動に拒否反応が出てしまった時期がある(^^;)。

そういえば、1号が小5のときにPTAの学級委員をやることになり(この小学校は学級委員が2名で、大体6年間で1回は回ってくる。そして1度やれば5年は免除されるので、上手く計算すると1号2号の通算在籍期間中1度で済むため、このタイミングで手を上げた)、その中で活動委員会を決めていってやり手がなかったので厚生部の部長を引き受けた。フルタイムで働いていても大丈夫ですよと言われたので、じゃあやりますと引き受けたのだがやってみたら全然無理で、何かあってもさっぱり連絡が取れないとか対応に動けないとか結構言われたのだった。まあ大丈夫ですよと言った方の方はフルタイムで働くということがどのように日中拘束されるのかの見当がついていなかったということなのだろう。これは失敗した。

この時代は、子どもたちともコミュニケーションが取りやすくなり(どんどん人間に近づくというか、話して分かるようになってくる)充実してきていたし、物理的な負荷は減ってきて楽しみが増えていくと同時にもう少し自分のために時間を使いたい欲求が出てきていた。自転車通勤もその一つだし、オケの活動も活発にしていたと思う。

そして、息子2号が小学生になり、既に高学年だった1号に任せて学童から二人で帰ってきてしばらく留守番することも可能になってくるにつれ、そろそろそこまで勤務に融通がきかなくてもなんとかなるのではないかと思い出したのだった。

キャリア的には、もう3年早く踏み切りたかったし踏み切るべきだったと今でも思うが、当時の私はなにより子ども絡みで起こることに柔軟に対応できる体制が重要で、というか、それを崩すのが恐くて事務所勤務を捨てて企業に戻る決断ができなかった。まあ3年早く踏み切って今の会社が(当時も募集はしていたと思うが)採用してくれていたかは不明だし、他に取ってくれる会社があってそこが自分にマッチしたかどうかはさっぱり分からないのだけれど。