10万字インプット・5000字アウトプット
最近話題になっていた、ソーシャル疲れに対する処方箋としての「10万字インプット・5000字アウトプット」(みたいもん)と、それについての「10万字インプット・5000字アウトプット」について考えてみた(R-style)を読んだ。
これについては、たいそう頷けるところであって、特に異論はないのだけれど。(なお、10万字ってどの程度だよ、という疑問は、前者の記事で引用されている いしたにさん、勝間さんの「KDP完全ガイド」イベントで心に火がついた(Lifehacking.jp)、で触れられている。「10万字というのは、最近の文庫だと150-170ページほどになりますね。1時間読書に当てる時間があるなら読む習慣のある人なら読める分量」)
仕事上のアウトプットは?
で、これらを読んだあとで、仕事で稟議書類を作っていて、添付資料で結構な分量の説明を文章にしていたわけ。それも何度も推敲して。そんなことをやりつつ、思ったこと。
R-styleの上記記事では、こういう仕事の文章って、ここでいう「アウトプット」に入るんだろうか?
と言われている。「自分の言葉」でアウトプットすることが重要、ということなのだろう。何かしら自分自身の口で(あるいは手で)言葉を生み出すことをする。そうすることで、思考がまとまりをみせはじめ、それが積み重なることで「自分の考え」(あるいは軸)と呼べるような何かが生まれてくるのです。
あえて言うまでもありませんが、どこからのコピペを大量生産して「ほらほら、もう5000字ですよ」とやっても意味はないでしょう。何であれ5000字のアウトプットあればOK、という話ではないのです。それを出していく過程の中に、何かしらが存在しているのです。
そうした意味では、どれだけ苦労して推敲しても、残念ながら上記のような仕事上の報告書の類は、『自分の言葉』にはなっていなくて、あくまでも目的を達成するためのものなので、相当の量を吐きだしていても、カウントはできないことになりそうだ。
自分の言葉で書く効用
第一、私自身、このブログで仕事に関するアウトプットを色々しているわけなんだけど、それを仕事の中で完結せずになぜブログに書き散らしているのかと言えば、仕事の書類にまとめ上げてしまうとおそらく『自分の言葉』でのアウトプットにならず、不満が溜まるからというのも理由の一つなのだろうと思う。
ときどき、ブログに書いたことが仕事上でも使えそうなので、それように書き直したりするのだが、これがどちらも自分の書いている文章なのにまるで違っていてやりにくいこと夥しい。面倒になって、部下に自分のブログのリンクを貼って『読んどいて』とやる頻度が増えた昨今である(オイオイ。一応匿名ブログでしょうが)。