さて、キャリア第3期。詳細は幕間エントリを参照頂きたいが、ざっくりいうと、私のキャリアは以下の歩み。要は、第3期が現職となる。
第1期 1987年4月〜1996年5月(9年2ヶ月) メーカー知財
休 職 1996年5月〜2001年11月(5年6ヶ月)在カナダ 出産育児、通学
第2期 2001年12月〜2008年2月(6年3ヶ月) 特許事務所
第3期 2008年3月〜現在 (5年4ヶ月) メーカー知財
特に意図したわけではないが、結果として回転扉をあちら側からこちら側へ2度くぐり、企業知財職に出戻ったことになる。以前のエントリに書いたように、転職の直接のきっかけは行き詰まり感だったわけだが、企業と事務所の職種の違いという観点も踏まえて言えば、自分が技術系でないこと(大学の専攻の問題だけではなくて、後から補強しようにも難しいくらい適性がない・・・)による特許明細書書きとしての行く末に限界を感じたことと、キャリアを渉外系からスタートしたこともあって自分のホームはそこにあるとずっと感じていたにもかかわらず事務所ではその機会がほとんど得られないことの両方を解決しようと思うと事務所から企業へ移ることが最善だと思われた。
このため、転職に際しても、細分化されていて技術的な素養を求められる大手知財部の特許担当職ではなくて、中小で知財全体を見られるようなところを希望した。勤務地の関係もあってかなりニッチになってしまったし、第一前職が特許事務所でその前の企業経験は若手止まりとなると会社側が力量に疑問を持つため、それなりの規模の知財部にはお断りされることが多かった。結果、現在の勤務先に拾ってもらった格好になるわけだが、これは本当に自分が求めていたポジションに結果としてなっており、非常にラッキーだったといえるだろう。
さて、あっというまに5年あまりが過ぎた現職だが、ずっと同じ仕事をやっているわけでもなくて、こんな感じに細分される。
見習い 1年強 2008年3月〜2009年5月
渉外専業 1年半 2009年5月〜2010年9月
特許統括 1年半 2010年10月〜2012年6月
知財統括 1年強 2012年7月〜現在
最初の1年ほどは、企業知財のリハビリと会社という組織での振る舞いのリハビリに当社独自の事情や作法の習得という感じで正に見習い(様子見)の期間だった。それでも業務の内容自体は全く新しいものはなくて想像の範囲内でありバリエーションに過ぎないと思えたし、会社組織も未熟なところは多いながら『そういうこともあるだろう』と言える程度のものではあったので、まあなんとかかんとか過ごすことができた。おそらくは、規模は違えど初職と同じBtoCのメーカーで、しかも電機系ではあるから、知財職のやることとしては概略大差なくて、あとは取り扱う製品の違いによる技術の差というところだったからだろう。
この時期に、初職での上司がやっていたことを思い出して焼き直して当てはめてみたり、事務所時代に散々読んだビジネス書の知識を応用してみたり、色々試行錯誤もしてみた。けっこうこれが役に立ったと振り返ってみて思う。
その1年ほどの実績と会社の状況によってしばらく渉外専業となり、同時に渉外側の統括職となる。今振り返ってもこの時期は特許係争がピークで半端ない数の案件が発生し、片付けても片付けても湧いてくるという感じだった。この頃の状況は以前のエントリに何度か書いているし、生々しいところはそちらをお読み頂ければと思うが、状況がそんなんだったことと、まだまだ社内での理解が得られておらず、解決に持っていくための社内の調整方法が自分の中で確立する過程で、当然ながら私自身の役員における信頼度は未知数という状態だったため、とりあえず全力疾走せざるを得ず、ひたすら(私生活を犠牲にして)成果を出すことに懸命になっていたと思う。
その過程で、要するに知財部として渉外優先シフトを敷いたために権利化サイドがシステマティックに回っていないのは重々承知ではあったけど、自分の管轄の外でもあり、色々なところに目をつぶっていたと思う。
という中で嵐のような1年半が過ぎる頃には、社外の状況も一段落する様相であったのだが、社内的には色々あってすったもんだの末に部門統合になり、旧知財部は渉外と商標を手放して特許専業となると同時に私はその全体を仕切るように命じられた。
部門の統合自体には色々と思うところはあったが、知財渉外の仕事自体は、密度の濃い状態で1年あまりを走り抜けてしまったため、正直疲れてきていたこともあったし、飽きてきていたこともあったので、手放すことについてそれほど未練を感じていたわけでもなかった。ようやくここまでノウハウが蓄積されてきたのに(そしてまだそれを可視化して他人と共有できるところまでできているとはとてもいえないのに)手放して今後の業務がちゃんと回るのか、という懸念はあったけれども(そしてこれまでのエントリに散々書いたようにその懸念は杞憂でもなくてまったくうまくはいかなかったのだけれども)。
また、発明の発掘創出から権利化については、色々なところに不備が目立っていたし、その一方で色々な試行錯誤が効果を発揮しだしてきてもいたので、ここで全体を統括して色々手を入れていくのは意義があるだろうと思えた。
ということで、特許統括の1年半ほどの間に、権利化側の色々なシステムを整え、その上で、特許出願から登録の件数を積み上げてきた。まだまだ足らないところは色々あるけれども、それまで場当たり的で特許事務所にお任せになっていた部分が大きかったところを意思を持って仕組みを作ってきたと思っている。結果的には、この1年半の仕組み作りが、その後知財に渉外と商標が戻ってきてそちらに私自身をシフトせざるを得なくなってからもそれなりに権利化側が回るための基礎作りという位置づけになった。
知財に渉外と商標が戻ることになったのは外部要因によっており、それ以外に方法がみあたらなかったのでやむなしというところだったが、それでも担当人数が減った上で業務内容が膨らむ形で戻ってきており、さらに権利化側は精力的に出した時代の中間処理が爆発的に増加してくる期間に当たってしまい、ここ1年は人手不足に泣きながら仕事を回している有様。そろそろ知財部門としては次に移行すべき段階であることが見えているにもかかわらず着手ができないというもどかしい状況で現在に至っている。この解決策として年度の計画時から人員の補強を訴えていてまだ実現していないが、全社組織の再編も控えており、近々次の時期に入ることが見えている。
それにしても、キャリア第3期はめまぐるしいな・・・。