知財渉外にて

2008年3月~2014年9月までの間、知財渉外ネタを中心に書いてきました。

ログを取ることの費用対効果

タスクやアクションのリストを管理するツールと行動記録(タイム・トラッキング)のログを取るツールが別個になっていると、両者の整合を自分で(手動で)取らなければならず、ログを取るハードルは物理的にも心理的にもかなり高くなると思う。

この点、TaskChuteは、ログと取ることがすなわちリストの消し込みをすることになっていて、両者が連動どころか一体化しているので、理想的。TaskChuteの欠点は、ただただ起動が遅くて持ち運びのハードルが高いエクセル上で動くというところだけ。(とはいうものの、ほんの10年前は職場と自宅のPCで同じ環境を用意するために毎朝毎夕同期作業をしていたことを思えば、なんともはや怠け者になったものであるのだが。)

で、TaskChuteに挫折して自然にログを取るということができなくなっている現状の私からしてみると、ひととおりの繰り返しタスクでの時間計測が済んでしまうとそれ以上積極的にログをとり続ける意味を見いだせなくなっている。で、昨日のタスクセラピーでは、

ログってなんのために取るんでしょう??

という質問をコーチにぶつけてしまったわけ。

コーチのブログ、「とゆメモ」で書かれているように、もちろんログをとりつづけるメリットはある。時間が経てば経つほど、蓄積されたデータが多くなれば、ビッグデータではないけれど、分析できることも増えるし、経時変化の傾向も見えるかもしれない。自分でも気がついていなかったことが目に見えるようになり、そこから改善できることだってあるでしょう。問題は、そういうぼんやりしたメリットが、つける負荷に見合うのかという一点。

費用「対」効果とタイトルに書いたように、相対的なものなので、TaskChuteのように、ログを取ることの負荷がほぼゼロに近い(リストのチェック=ログ記録だからゼロと言ってもよいだろう)のであれば、少しの「発見」でも価値があるし、そうした小さな喜び?で継続できてしまうと思うのだけれど。そうでないと、個人としてログを取るのはメリットが見いだしにくいとつくづく思ってしまったのだった。

例えば現在、仕事では、課のメンバー全員に業務の時間記録をつけてもらうということを始めていて、本格稼働の前のトライアル段階なのだけれど、これはもう、ログを取ることによって効果が明確なのでやらないという手はない。人員数が適正かどうかをデータで示したり、1つの仕事にかけている時間の妥当性を議論したり、はたまた個人の業務量の調整をしたり、と、こうしたデータがなければ説得力がなく、どんぶり勘定に流れがちなことを数値を使って行うことができる。今までやってこなかったのは単に余裕がなさすぎただけで、過日メンバーの一人に

これはいつまでやるんですか?

というある意味無邪気な質問をされたけれど、どこかで十分になったから止めるという選択肢はない。はっきり、「ずっと続けて基礎データにします」と言うことができるのだが。

翻って個人としては、どうなんだか。そこまで明確化してやりたいことが見えてこない。でも有用そうではあるのでやっぱりTaskChuteに回帰するのが近道のような気もしてきた(ぐるぐる)。悩みを大きくしているのは、上記の「例えば」で書いたように仕事では共通土俵の行動記録(というか工数管理)と分析をすることになっていて、そちらはもちろんTaskChuteでするわけにはいかないから、仕事中の管理をどうするのか、という面倒な問題があるからでもあったりする。

ああもうじっくり考えたいんだけど、色々なことが中々進まない。花粉で目と喉の調子が悪いし(くすん)。