ずいぶん着手が遅くなってしまったが、ようやく職務経歴書その4である。幕間エントリに書いたように、今回は、改めて
について書いてみたい。キャリア第2期 2001年12月〜2008年2月(6年3ヶ月) 特許事務所
6年あまりの第2期キャリアは、前半(2001年12月〜2005年3月)の3年あまりと後半(2005年4月〜2008年2月)の3年弱とに分けられる。前者は、特許事務所としての規模も小さく(10名以内)、私自身も特許技術者として試行錯誤の修業時代という色彩が強かった。後者は、オフィススペースが手狭になって引っ越しをし、それに合わせるように(鶏と卵だが)人の採用も積極的に行ったことから中間管理職的な役割が求められ、副所長という肩書きをもらって所内のシステム作りにも精を出し、他の技術者が書く明細書にチェックを入れるといったことを行っていた。
職務経歴書その3では、当時の仕事について以下のように書いている。
これを書いたのは2005年の10月25日。その当時の仕事配分としてはこんな感じだったのだろう。この後、上記したように管理系の業務が増えていったし、(b)の中間処理も時間の経過に伴って増えた。縁あって(f)の関係の相談や契約系の仕事もぽつぽつ受任していた覚えがある。特許事務所の仕事は、事務所によって多少のばらつきがあるのだろうが、大抵こんなところではないか。
(a)新規出願(発明に基づいて出願書類を作成して特許庁に出す)
(b)中間処理
(出願審査請求→拒絶理由通知→補正書・意見書→拒絶査定(→審判請求))
→特許査定
(c)外国出願
(d)侵害訴訟代理・補佐
(e)特許調査
(f)特許等に関連する相談会社の中での特許業務に比べ、特許事務所の業務範囲は明らかに狭い。ほとんどが権利化業務である(a)と(b)、その延長である(c)に特化している。事務所入所後の私の業務範囲は、8割方が(a)であり、1割程度、しかも最近発生しだした(b)、忘れた頃にやってくる契約などの(f)というところ。ブランクもあり、経験も少ない私としては、がんがん(a)をこなして、自分で担当した案件が審査に係れば(b)をやり、その経験がまた(a)にフィードバックされるという特許事務所の技術担当としては至極まっとうなルートである。
しかし、特定侵害訴訟代理付記の資格を早々に取ったものの(初年度合格)、結局最後まで(d)付記代理をしたことはなかった。企業に戻ってから改めて思うが、なかなか係争系の仕事を通常出願系をお願いしている事務所に出すことはないので、事務所自体に依頼がなかったというのが実際であった。
また、(e)の特許調査は、極少数の調査専門家を有する特許事務所は別として、調査自体を特許事務所に出す企業は稀で、そのためたいていの特許事務所は商用データベースの契約をしていない(依頼件数が少ないのでペイしない)。調査を行うのは、特許出願の際に必要となる先行技術調査、鑑定の際の前提となる無効資料調査だろうが、全社は大手企業からの依頼では既に調査は内部でなされておりせいぜい補充の調査を行う程度、後者も同様である。私自身、初職の頃はネット環境がまだ未発達の頃だったので、商用データベースは従量課金の時代であり、専門の調査担当でなければ課金が怖くてなかなか調査はさせてもらえなかった(IPDLなんてなかったし)。このため、調査の経験を担当として積む機会がなく、事務所時代は以上の通りであったため、現在に至るまで残念ながらまともに経験したことがない分野となってしまっている。
既に10年以上前になり、記憶が曖昧なのだけれど、前半3年は本当に【修行】の色彩が強かった。私自身の特許技術者としての経験は、初職の会社を退職する直前1年半程度なので(社内で丁寧に指導して頂いたとはいえ)たかがしれており、加えてそれから5年以上経過しているために実務がかなり変化しているという状況でけっこう苦労した。弁理士資格はあるものの、技術系のバックグラウンドを持っていないこともあり、はじめの頃(2年くらいか?)発明者と面談にいっても話を聞いて全体を把握するのが精一杯でその場でクレームの方向性とか構成要件を詰めることができず、付き添ってきた所長がその場でどんどんクレームの方向出しをしているのを見て焦りを感じたことを今でも思い出す。
特許事務所での新人は最初の数年指導者がついて赤ペン先生よろしくみっちり指導するのが通例だと思うけれど、私の場合多少経歴が特殊で一応経験者扱い、資格は持っている、所長は元々私の同僚で変に能力を買ってもらっている、などの事情が相まって、他の技術者への指導の必要性もあったりして、早々に赤ペン指導からは外れてしまい、面談も一人で行くことになった記憶がある。とはいえ自分自身で自信をもってクレームドラフティングができるようになったとはとても言えない状態で、1件新しいものを書くために先行技術や関連技術の明細書を数十件積み上げてひたすら読んで『相場感』を掴んでからでないと書き進めることができない状態が長く続いた。おかげで蓄積はできたと思うがなにしろ時間がかかって売上貢献は低かったと思う。
また、初職の会社は大手のクライアントでもあり、ここから出てくる案件は既に先行調査もすんでおり、発明者からの資料も充実していてあとは書くだけの状態に材料が切りそろえられている感があり、これなら相場感さえつかめればそれなりの明細書を仕上げていくことができたのだが、一方で特許事務所である以上クライアントを(コンフリクトがある場合は別として)選んでいるわけにも行かず、製品分野が自分にとってなじみがなかったり、中小企業や大学のお客様で特許提案書なんてあるわけがないようなところも数々ある。所長自身はこの手のお客さんともうまく話を聞き出して仕上げることができていたが、振り返ってみると、こうした手探りの中の仕事は技術的なバックグラウンドがないところが痛くてかなり苦労した。色々な周辺情報を調べて埋めようとするのだけれど、質問が的確にできる程度に埋めるのは実のところかなり難しい。
とまあ相当修業時代は厳しくて、こんなんでこの先何十年も明細書書きとしてやっていけるのだろうか?という疑問が頻繁に頭に浮かんでいたのは想像に難くない。
かなり長くなったので、ここでいったん区切りにして、後半を書く前に、このようなキャリアの裏側というか、ワーキングマザー生活の側面について書いてみようと思う。